2005年11月15日

劇場感染記「チャーリーとチョコレート工場」



雑感シリーズ。

待ちに待ってたティム・バートンとジョニー・デップタッグの最新作。

ロアルド・ダールの世界的ロングセラー児童書『チョコレート工場の秘密』を映画化したもので一度1971年に映画化されてるからこれが2度目。



ちゃりちょこ.jpg






バートンの世界観ってホントにわくわくする。
ゾクゾクするといってもいいけどなんだろう、この懐かしい気持ちは。



彼は一貫して異形なものに愛を注いできたわけで、何故ならそこに純粋なものを敏感に感じ取っていたからと思われ、もちろん自分が実際に生きてきた中での実体験というか実体感があるってことがバックボーンとして絶対に無視できないところなんじゃないかと思う。



異形であるが故、最初から遠ざけられてしまう存在たち。
人というのは自分の頭の中で強大なモンスターを作り上げてしまうからね。
しかしコミュニケーションを取ってみない事にはそのモノ(あるいはヒト)の本質には近づけない。
見る人たちにスクリーンと否応なしにコミュニケーションをとらせる、これがバートンが映画に見出した幸福だったのかもしれない。



だから「どこか切ない」空気を映画の中で表現できていたのだろう。
登場人物たちは自分の分身であり、彼らから「僕は僕なんだよ!ありのままの僕なんだ!もっと目を凝らしてみてくれないか!」とのメッセージを送りつづけていた。

あ、「PLANET OF THE APES 猿の惑星」は除く。




が、しかし!


バートンの内面が多少の変化を起こした。


リサ・マリーとの結婚を機に。


隣を見れば常に自分を心から愛してくれるヒトがいる。
それはバートンの内面の凝り固まった(そしてそれは創作意欲の源になっていた)ストレスを緩やかに溶かしていく。
ごく当たり前で普遍的な愛情を享受することによって当然映画の方向性も普遍的な愛情へとシフトしていった。



「ビッグ・フィッシュ」を見れば一目瞭然。


まぁ、リサ・マリーとは別れたけど「猿」の撮影のときからヘレナ・ボナム・カーターと付き合ってて子供も出来たもんね。
(籍は入れてないらしい)



で、このチャリチョコ。

一見、家族愛を朗らかに謳ってはいる。
多少ブラックな演出はあるものの。
清貧とかもね。

でも、その裏で

原作が児童書という隠れ蓑を被って現実と理想の対比を容赦なく子供の世界に映し出している。
彼のこの作品でのスタンスは現実に非常にシビアでありながら理想にはとことん甘い。
ラストはまさに絵空事だ。持たざるものの夢物語。

あっ!だからチョコレート工場かっっ!


実際、あの主人公以外の子供たちを描きたかったんじゃないかという気すらする。

「こんな家族、嫌だろ?
でも、多いんだよ最近。」
みたいな。
恐らく自分が一番嫌悪してるのだろう。
で、この対極にあるもの(理想=自分が目指すもの)が世間では単純に珍しいからそれだけ映画のネタになるということなんだと思う。


と考えるとダークで毒な部分に今回は人のワルイ悪戯が加わってる。
「複雑な気分にならないかい?」




「人気あるし、ファンがついてるからたまには自分の作りたいものを作ってみるか。
ブーイングが出ない程度で。
ジョニデもいるから致命傷にはならないだろ。」




「でもやっぱりフォローしとかないとね。」

「フォロー」=「コープスブライド」





以上、見当違いな雑感でした。




結局、僕自身はこの映画には「いまさら」感を強く感じちゃって、ストーリーが動き出す中盤からはどうにも見ていてだるかったんだけども。
「コープス・ブライド」で口直しかな。



posted by はやし at 09:34| 熊本 ☀| Comment(7) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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